終戦記念日の前後にはテレビ番組に戦争当時の映像やインタビューが多く流れます。

 

特に沖縄返還45周年となった2017年には沖縄戦についてのドキュメンタリー番組をよく目にしました。

 

沖縄戦について、時を経て映像やインタビューで新たに知るということが多い気がするのは、学校の教科書などではそれほどリアルに触れられていないためなのかもしれません。

 

今回は、そんな『沖縄戦』についてわかりやすく解説していきます。

 

沖縄戦とは?

(シーサー像の近くで日本軍の様子をうかがうアメリカ軍 出典:Wikipedia

 

 

沖縄戦とは、第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)に沖縄と沖縄に属する周辺諸島で行われた日本対アメリカとその連合国による戦いのことです。

 

沖縄戦による日本の死者・行方不明者数はアメリカとその連合国軍の約9倍になり、日本の歴史の中でも類を見ない悲惨な戦いとなりました。

 

混乱しがちな「第二次世界大戦」と「太平洋戦争」の関係性を整理しよう!

(ドイツのアドルフ・ヒトラー 出典:Wikipedia

 

 

ところで、沖縄戦は太平洋戦争で起きた日本対アメリカの戦争とされていますが、その太平洋戦争が第二次世界大戦と同じなのかという点でしばしば混乱してしまいがちです。

 

ここで、当時の戦争について整理しておきましょう。

 

①第二次世界大戦

第二次世界大戦は1939年にドイツがポーランドに侵略を開始したことで始まりました。

 

この時、第二次世界大戦が繰り広げられた場所はヨーロッパとアフリカの地域でした。

 

参戦した国と構図は、アメリカ、フランス、イギリス、ロシア対ドイツ、日本、イタリアです。

 

②太平洋戦争

第二次世界大戦の開戦から2年後、日本がアメリカ太平洋艦隊の拠点となっているハワイの真珠湾を攻撃したことで始まったのが太平洋戦争です。

 

このことから、太平洋戦争は日本対アメリカという構図として語られることが多いです。

 

しかし、第二次世界大戦からの流れからみると日本対アメリカとその連合国という関係性になり「第二次世界大戦の流れの中で太平洋戦争が起きた」ということになります。

 

③沖縄戦

1941年に日本の真珠湾攻撃がきっかけで始まった太平洋戦争ですが、1945年にとうとうアメリカとその連合国軍が日本の南西諸島に上陸しました。

 

上陸の始まりは同年3月に沖縄本島南部にある点在し沖縄県に属している慶良間諸島とされていますが、主な戦闘は沖縄本島で行われたのでした。

 

補足

 

日本が真珠湾を攻撃した理由としては、当時の日本と中国とは日中戦争を行っている中で、アメリカは中立の立場をとっていました。

 

しかし日本が中国・東南アジアに経済圏を作ろうとした動き対してアメリカが反発し日本に経済制裁を実施しました。(ABCD包囲網

 

その経済制裁の内容に日本への石油輸出をしないという内容が含まれ、また更には日本が中国から兵を引き上げることを要求されてしまいました。

 

そこで、当時首相に就任した東条英機によって真珠湾攻撃が実行されたのでした。

 

 

沖縄戦の目的

(アメリカ&連合国の空母・戦艦・爆撃機 出典:Wikipedia)

 

 

この流れから太平洋戦争の末期に沖縄の地で戦争が行われたのが「沖縄戦」ということになります。

 

それぞれの国の目的は以下の通りです。

 

①アメリカとその連合国の目的

アメリカとその連合国の沖縄戦の主な目的は3つあったとされています。

 

アメリカ&連合国の目的

 

1つ目:沖縄(属する諸島を含む)をその後の軍事的な拠点にするため。

 

2つ目:日本軍の海上、空域での行き来や通信を阻止したいため。

 

3つ目:本土戦になった際の補給の拠点にするため。

 

 

特に、2つ目の目的の空域を確保することは日本本土だけではなく周辺諸国の攻撃や軍事的圧力をかけるという点で大きな意味を持っていたようです。

 

②日本の目的

日本側の沖縄戦の目的は、本土侵略まで出来るかぎり時間を長くする事でした。

 

沖縄戦が繰り広げられた地域を日本は作戦の中でいわゆる「前縁地帯」としていたのです。

 

前縁地帯の役割は、本土決戦に備える時間を稼ぐことにあったので日本軍はアメリカとその連合国軍と徹底して戦わなければいけませんでした。

 

沖縄戦をしているうちに日本は本土で戦う準備を整え、敵国を迎え撃つという流れでありました。

 

沖縄戦の詳細

(沖縄本島に砲撃をおこなう戦艦 出典:Wikipedia)

 

 

第二次世界大戦の流れの中にある太平洋戦争、その太平洋戦争の末期に沖縄で繰り広げられた日本対アメリカとその連合国軍による沖縄戦について改めて詳しくみていきましょう。

 

①始まり「沖縄本土上陸前の攻撃(3月23日)」

1945年、323日に沖縄(沖縄県に属する周辺諸島)への本格的な空襲や攻撃が開始されました。

 

日本への戦闘の規模は以下の通り・・・とても大規模な攻撃でした。

✔ 日本に打ち込まれた砲弾の数約40000発

 

✔ 艦載機(軍艦に搭載された戦闘機)での攻撃1600機

 

②沖縄本土上陸「地上戦(4月5日まで)」

(突撃するアメリカ兵士 出典:Wikipedia)

 

 

最初の攻撃から約1週間で、日本軍の抵抗はほぼ影響せず約6万人のアメリカとその連合国軍は沖縄本土に上陸しました。

 

そして、その日のうちに読谷飛行場と嘉手納飛行場を占領。

 

これらの飛行場は予め日本軍によって破壊されていましたが、たちまちにアメリカ軍によって復旧され戦闘機を配備されてしまったのでした。

 

そして、数日のうちに沖縄本土を南北に二分する地域まで占拠されました。

 

③沖縄全土をほぼ占領(6月21日)

(火炎放射を放つ戦車 出典:Wikipedia)

 

 

沖縄本土を二分した後は、最初に本土に上陸した場所より南の首里方面(南部)と残りの北部に分けて進撃を続けました。

 

そして日本軍が手薄であった本土北部については、すぐに占拠しました。

 

激戦地となった本土の西に位置する伊江島も416日には占拠、残る首里を含めた南部についても621日に占拠が完了しました。

 

最初の攻撃から約3か月で事実上、沖縄本土と周辺諸島はアメリカとその連合国によって占領されてしまいました。

 

沖縄戦の終戦

(沖縄戦で捕虜となった少年兵 出典:Wikipedia)

①沖縄作戦終了宣言と降伏調印式

沖縄本土と周辺諸島がほぼ占領されたのが6月後半。それ以後も宮古群島や八重山群島では戦闘状態が続きました。

 

そして、72日アメリカとその連合国軍が沖縄戦の終了宣言をおこないました。

 

第二次世界大戦が終戦となったのは815日ですが、実際に日本軍が武装解除されたのは9月上旬ですので、これらの地域では815日の終戦以後も戦闘状態でありました。

 

正式に降伏調印式が行われた97日が沖縄の守備が解かれたということになります。

 

②沖縄戦での死者数

沖縄戦による日本側の死者・行方不明者の数は188,136人とされています。

 

アメリカとその連合国軍側の死者・行方不明者は20,195人とされているので、日本側は約9倍の死者・行方不明者となっています。

 

③ひめゆり学徒隊と集団自決

沖縄戦時中、沖縄県立第一高等女学校と沖縄師範学校女子部の生徒と教員が負傷兵の看護にあたる役割で陸軍病院に動員されました。

 

その数は約240名。「学徒看護隊」という名称でした。

 

沖縄県立第一高等女学校と沖縄指南学校の女子部のそれぞれの広報誌の名が由来となって「ひめゆり部隊」という通称で呼ばれることもありました。

 

看護隊は戦局が悪化してもそれぞれに配属された部隊で負傷兵の看護にあたっていましたが、最終的には136名が戦死したとされています。そのうちの10名は集団自決でした。

 

沖縄戦の特徴【まとめ】

(避難民の子供 出典:Wikipedia)

 

 

ここまで、沖縄戦の内容にについて詳細をみてきました。

 

沖縄という地が日本にとって「前縁地帯」であったことが影響し、沖縄戦としていくつか特徴があります。

 

その特徴を以下に簡単にまとめておきました。

 

沖縄戦の特徴

 

特徴1:沖縄戦は持久戦

沖縄戦は本土決戦の準備を整えるための時間稼ぎをするという意味を持っていました。そのため、本来の想定していたよりも長期間の戦いになり被害は拡大しました。

 

特徴2:民間人の戦線への参加

「沖縄でできる限り戦い抜く」という意味で、軍人以外の人(ひめゆり部隊・少年兵などの民間人)も最終的に戦線の部隊に配属され多くが戦死しました。

 

特徴3:終戦後も続いた戦い

終戦後も正式に武装解除されるまで戦争状態にあり、これも被害を大きくした要因と考えられています。

 

 

まとめ

 沖縄戦とは、第二次世界大戦の末期に沖縄と沖縄に属する周辺諸島で行われた日本対アメリカとその連合国による戦いのこと。

 1941年に日本による真珠湾攻撃があり、沖縄戦が始まったのは1945年である。

 沖縄戦でのアメリカとその連合国の目的は沖縄を軍事拠点にしたかったから。

 沖縄戦での日本の目的は本土決戦に備える期間を得ることにあった。

 沖縄戦によって日本の死者・行方不明者はアメリカとその連合国軍の約9倍であった。

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