坂本龍馬によって『薩長同盟』が結ばれます。
この同盟によって倒幕運動は加速していき、ついには幕府が滅亡することになります。
今回は、そんな薩長同盟についてわかりやすく解説していきます。
目次
薩長同盟とは
薩長同盟とは、1866年(慶応2年)に長州藩と薩摩藩の間で交わされた同盟のことです。
(※薩長連合、薩長盟約とも呼ばれています)
ここからは、薩長同盟締結の背景や目的・内容などをわかりやすく解説していきます。
薩長同盟前の長州藩と薩摩藩
薩摩藩と長州藩がとても仲良くなったのは薩長同盟の後のことであり、その前は犬猿の仲で戦争までしていました。
実はそのことには背景がありました。
薩摩藩は薩長同盟以前は、幕府と同じ考えの公家と武家を合体させる公武合体派という考えを持っていました。
そして、薩摩藩は会津藩と一緒に違う考え方の尊王攘夷派を暗殺していました。
しかし、長州藩はこの頃バリバリの尊王攘夷派で京都を中心に大暴れしていたのです。
これに怒った薩摩藩は尊王攘夷派の公家と一緒に長州藩の人を全員京都から追放しました。このことを八月十八日の政変と言います。
それに対して長州藩の人は抗議をするため蛤御門に行きますが、薩摩藩はその長州藩の人を攻撃して長州藩を天皇の敵にしました。これを蛤御門の変と言います。
長州藩は幕府からボコボコにされて長州藩はボロボロになってしまいました。
長州藩はどんどん薩摩藩を恨んで行くようになっていきました。その恨み具合はわらじの裏に『薩賊会奸』と書いてわらじをずしずしと踏みしめながら歩いたぐらいでした。
その結果、薩摩藩と長州藩は犬猿の仲になってしまうのです。
薩長同盟の背景
薩摩藩と長州藩は犬猿の仲になってしまいますが最終的に同盟を結びます。
一体どういうことなのでしょうか?実はそこには薩摩藩と長州藩のある事情がありました。
①薩摩藩の場合
(生麦事件 遺体発見場所付近 出典:Wikipedia)
薩摩藩は江戸から領地の薩摩に帰る大名行列の途中でイギリス人を斬り殺してしまう生麦事件を起こしてしまいます。
これに対してイギリスは激怒。すぐさま薩摩藩を攻撃します。この戦いを薩英戦争と言います。
薩摩藩はイギリスのあまりの強さに圧倒され、このままの状態ではイギリスにこの国が乗っ取られると思い始めます。
イギリスも薩摩藩が意外と強かったので、これから先イギリスと薩摩藩はとっても仲良くなります。
薩摩藩は外国に対して弱腰の幕府はもう役に立たないと思いどんどん倒幕に傾いていきました。
薩摩藩はイギリスから大量のハイテク武器を輸入して準備万端でしたが幕府相手に薩摩藩だけでは対抗できないと考えていました。
そこで仲間になってくれる藩が欲しかったわけです。
②長州藩の場合
長州藩は幕府からボコボコにされてしまいます。
さらに運の悪いことに、この頃尊王攘夷でイケイケだった時にやらかした四国艦隊砲撃事件の報復として四ヶ国に下関砲台を占領されてしまいました。
この占領により長州藩も外国に勝つことは不可能と思い始めました。
幕府にも外国にもボコボコにされてしまった長州藩。長州藩はそれでもへこたれずにこれまでの尊王攘夷から倒幕にチェンジします。
しかし、幕府から武器を買うことを禁止されたため武器がなくて倒幕どころではありませんでした。そのためどこかから武器を調達したいと思いました。
このように薩摩藩と長州藩は倒幕という共通の考え方になります。しかし、薩摩藩と長州藩は依然として犬猿の仲だったのであまり仲良くはなりませんでした。
このままでは仲悪いままでどうすることもできません。そこに現れたのが坂本龍馬でした。
日本初の貿易会社『亀山社中』
(坂本龍馬 出典:Wikipedia)
坂本龍馬はそんな二藩の状態を見て『この二藩を仲良くさせれば倒幕することができるかもしれないぞ!』と思い始めます。
そこで、坂本龍馬は二藩を仲良くさせるために日本初の貿易会社を作ります。この会社のことを亀山社中といいます。
亀山社中はまず大量の武器を買い取ってその武器を長州藩に売ります。そして、その代わりに薩摩藩で不足していたお米を長州藩から買い取ってその米を薩摩に売ります。
このやり方のポイントは二藩とも形では土佐藩から買っていることになっていることです。
これによって恨みとか関係なく武器を調達したりお米を調達することができ、二藩ともwin-winとなることになるのです。
しかし、長州藩はこの武器は薩摩藩か送られてきたことを知っていたため、徐々に薩摩藩に対して好意の感情を抱くようになっていきます。
薩摩藩も同じ感情になって坂本龍馬が考えた作戦はうまくいったのでした。
薩長同盟の締結
(西郷隆盛 出典:Wikipedia)
坂本龍馬は二藩の同盟を提案して一回は下関で同盟が結ばれると思いきや、西郷隆盛がドタキャンしてしまい話が流れてしまいます。
もちろん薩摩藩はカンカンに怒ってしまい同盟が結ばれない危機に陥ってしまいます。
しかし、坂本龍馬の必死の説得によってなんとか京都で薩長同盟が結ばれたのです。
薩長同盟の内容
薩長同盟は主に以下のような内容です。
薩長同盟の内容
1、長州藩が幕府と戦争になったら薩摩藩はただちに2000ほどの兵を向かわせること。この時、長州藩が勝利したら、朝廷に進言して調停に尽力すること。
2、万が一長州藩が負けた場合は長州藩が滅亡させないために、薩摩藩は必ず長州藩を助ける為に尽力すること。
3、戦争が終わったら薩摩藩は長州藩を朝敵じゃなくすため朝廷の説得に尽力すること。
4、幕府側の有力大名である会津藩や桑名藩などの藩が長州藩や薩摩藩を攻撃したら即座に戦争をすること。
5、長州藩が朝敵じゃなくなったら薩長双方は誠意を持って、力を合わせ、日本のために力を尽くすこと。
など、もし幕府が再び長州藩を攻めたら薩摩藩は長州藩のサポートをするということが決められました。
薩長同盟の影響
薩長同盟が結ばれた5ヶ月後に幕府はまた長州藩を攻めて第二次長州征伐が始まります。
薩摩藩は同盟通り征伐に参加しませんでした。
さらに長州藩は薩摩藩から調達した最新型の武器を手に取って戦った結果、長州藩は幕府に圧勝することができました。
この第二次長州征伐の勝利は幕府の権威が地に堕ちたことを決定づける結果になり、その後薩摩藩と長州藩を中心に倒幕運動を加速させていきます。
そして、ついに幕府は坂本龍馬の故郷である土佐藩の藩主である山内豊信の進言を聞き大政奉還をして幕府は終末を迎えました。
その後日本は薩摩藩と長州藩を中心に新しい時代を迎えることになったのです。
まとめ
・薩長同盟を結ぶ前は薩摩藩と長州藩は犬猿の仲だった。
・薩摩藩と長州藩はそれぞれ倒幕の感情が生まれていき、同盟をしたいと思い始めた。
・坂本龍馬は亀山社中という日本初の貿易会社を作り、薩摩藩と長州藩の仲立ちをした。
・薩長同盟によって長州藩は第二次長州征伐で幕府に勝利することができて、倒幕運動が加速していった。