【バブル崩壊とは】わかりやすく解説!!原因(きっかけ)や影響・その後など

 

約35年前に日本で起こったバブル景気。

 

月収が100万を普通に超えていたとかその内容は仰天なものばかりです。

 

しかし、今回はそんなバブル景気が弾けて日本が一気に不景気になった『バブル崩壊』についてわかりやすく解説していきます。

 

バブル崩壊とは?

 

 

バブル崩壊とは1991年に起こった日本のバブル景気が終焉を迎えてしまった出来事のことです。

 

このバブル崩壊によって日本の景気は悪化してしまい、銀行や企業が相次いで破綻してしまうという失われた20年に突入していくことになりました。

 

そもそもなんでバブル景気に入ったの?

 

 

バブル景気とは1986年頃からから1991年までの日本の超好景気状態のことを指します。

 

今でも40〜50代の人のことをバブル世代と呼んだりもしますが、そのバブルはこのバブル景気から来ています。

 

ではなんでバブル景気が起きてしまったのかを見てみましょう。

 

その1.プラザ合意からの円高不況による国内投資の増加

1980年代アメリカはベトナム戦争の後遺症や、外国製の製品が売れに売れまくってアメリカ製品が売れなくなってしまったせいで景気が悪化していました。

 

特に日本製品なんかはアメリカの製品のシェアを乗っ取っているぐらいにアメリカで売れていました。

 

そこでアメリカ政府は日本がアメリカで製品を売りづらくするためにドルの価値を下げて円の価値を高めようと日本政府や外国と交渉を行います。

 

これをプラザ合意と言いますが、これによって日本とドルのレートはプラザ合意の一年後の1986年には1ドル130円台となるなどの急激な円高が進行していき、日本では円高不況という不況に陥っていました。

 

企業たちは海外で売りづらくなったのなら国内でじゃんじゃん売っていこう!と国内での投資がどんどん増えていきます。さらに日本銀行が公定歩合という銀行に対する金利を下げることによって企業がお金を借りやすくするという状況を作り出していきました。

 

これによって国内の土地の値段が急激に上昇。土地神話という土地の値段は絶対に下がらないというこの時の法則みたいなものと相まって最盛期には東京全体の土地の値段でアメリカ全土3つ分が買えると言われるぐらいまで土地の値段が上がりました。

 

その2.日本での株ブーム

バブル景気のもう一つの原因がです。

 

1980年代日本では沢山の国営企業が民営化していきました。その中の一つである日本電電公社がNTTとして民営化した時、そろそろみんなに株を買ってもらってさらに資金を集めようと1987年に株式公開(株をみんなが買える状態にすること)を行います。

 

普通の企業ならもしかしたら倒産するケースがあるかもしれないから株を一気に買うことはしないのですが、元国営企業でありこの時の通信最大手の企業となると話は別です。絶対に倒産なんてありえないだろうし、絶対に株価が上がり続けると国民全員が感じていたのです。

 

そのため、NTTの株はばかすか売れてしまい株価は急騰。1987年には一株318万円という上がり具合を見せて莫大な利益を受けた人たちが続出します。

 

これを見て「株をやるとお金が増える!?これはやるしかない!」と思い始めた人たちはどんどん株を買いあさり、ついには日経平均株価が過去最高の3万8915円17銭を記録。さらに日本以外の世界が不況だったこともあり、日本の企業はアメリカの企業や建物を第二次大戦の恨みのように買収していきます。

 

あの有名なロックフェラーセンターも三菱地所が買収

 

(ニューヨークのロックフェラーセンター 出典:Wikipedia

 

 

平成元年には世界の株価時価総額のトップ20のうち10を独占し(一位はNTT)、日本国内で空前の好景気が訪れました。

 

バブル崩壊までの道のり

①崩壊のきっかけ(原因)「総量規制の導入による金融引き締め」

こうしてノリノリの超好景気になった日本。しかし、この好景気はこれまでの日本の好景気とは違い本来の日本の経済力には全く見合わないレベルに急加速していました。

 

確かに、好景気になれば生活が豊かになっていくのですが、それとともに貧富の差が激しいものになっていきます。このままでは日本はインフレ状態になるとなってそれこそ昔の世界恐慌みたいに取り返しのつかないことになってしまうかもしれません。

 

そこで当時の大蔵省と日本銀行はなんとかしてこのバブルを終結させなければいけないと考えていました。

 

まず最初に行ったのが金融を引き締めて銀行に借りづらくすることでした。このバブル期の政策を総量規制といいます。

 

この総量規制の主な内容は

融資の伸び率を貸出以下にする

ノンバンク・不動産業・建設業の三業種に融資の実態報告を求める

などの過激に行われていた融資を抑え込むというようなものでした。

 

さらに公定歩合も2.5%から6%に引き上げます。しかし、これが日本をどん底に陥れるとんでもない地雷だったのです...

 

②運命の日

1989年の12月29日に日経平均株価は最高額に到達しましたが、この日を機に株価が少しづつ下落していきます。

 

そして、公定歩合が引き上げられるとなると翌年の10月には株価が一気に50%OFFの2万円を切ってしまうとんでもない事態となります。

 

日経平均株価が半分になるということが日本のほとんどの企業の株価が大暴落したのと同じことですから日本の経済は大混乱。

 

さらに1992年東京証券取引所に上場している企業の総株価が1989年より611兆円から半分の269兆円に大暴落。

 

そのあおりを受けるかのように地価も大暴落して企業は多額の不良債権を持つようになってしまい、日本のバブル景気はここに崩壊しました。

 

バブル崩壊の影響

①企業・銀行の破綻

バブルが弾けたことによって企業の経営が悪化。倒産してしまう企業がちらほら出てきます。こうなると困るのが多額のお金を貸し出していた銀行でした。

 

銀行はお金を預けたりしていましたが、そのお金を使って貸し出しを行っていたので企業が倒産するということは銀行からすれば貸し出しをしたお金が返ってこないということになります。

 

そのおかげで銀行の経営も悪化。アジア通貨危機の影響もあって1997年に山一證券が破綻

 

さらに1998年には北海道最大のメインバンクであった北海道拓殖銀行(拓銀)が破綻。

 

日本は金融危機に追い込まれてしまいました。

 

②平成不況の突入〜失われた20年〜

バブル崩壊によって日本の景気は悪化して、景気抑制にはなったものの大蔵省が望んでいた結果以上の景気抑制となってしまい、大蔵省はいろんな人から目の敵にされてしまいます。

 

その後1997年に起きたアジア通貨危機で再び景気が悪化してしまい、1998年には経済成長率がマイナスになってしまいます。

 

その後、1999年のITバブルによって一時期景気は建て直されるのですが、その2年後にこのバブルも崩壊。日本は長い間低成長時代を這いずる失われた20年に突入していくことになるのです。

 

まとめ

・バブル崩壊は1991年に株価と地価が大暴落したこと。

・バブル景気は地価と株価が急上昇したが、それは日本の経済力には全く見合わなかった。

・バブル崩壊によって銀行や企業が倒産して日本は失われた20年に突入した。