元禄文化と化政文化はともに江戸時代に花開いた文化です。
2つとも同時代に興った文化とはいえ時期、場所が違えば特徴も違います。
文化はどうしても政治史や経済史と切り離して考えがちですが、歴史の流れの中で文化を捉えてみましょう。
目次
元禄文化と化政文化の違い
元禄文化と化政文化では中心となった時期、場所が異なります。
それぞれの違い
✔ 元禄文化
- 元禄時代を中心とする江戸前期の文化。
- 主に上方(京都や大坂)で花開いた。
- 上方の豪商や武士が担い手で華麗で人間味を重視した文化が特徴。
✔ 化政文化
- 文化文政時代を中心とする江戸後期の文化。
- 主に江戸で花開いた。
- 豪商や武士に限らず庶民でも参加できるような派手を嫌う文化が特徴。
ここで特に抑えるべきは時期(江戸前期か後期か)、場所(上方か江戸か)、特徴(華麗で人間味を重視するか派手を嫌うか)です。
特に特徴を覚えておけば作品を見たときに元禄期のものか化政期のものか判別もつきやすくなります。
ここからは元禄文化・化政文化についてそれぞれ詳しく解説していきます。
元禄文化とは?
(尾形光琳筆 「燕子花図屏風」 出典:Wikipedia)
元禄文化は江戸前期に上方で花開いた文化です。
豪商や武士が担い手であったため派手な側面があり、また人間味を重視した作品も多いとされています。
①元禄文化の背景
江戸時代も1700年代に入るころには貨幣経済が発達しました。
特に江戸は100万人都市に京都と大坂は30万人規模の都市にまで発展しました。それだけでなく各地の城下町も繁栄しお金に余裕を持った町人が増えます。
いつの時代でも人はお金に余裕ができると息抜きをしたいと考えるものです。
江戸時代も例外ではなく商人たちは町に遊里や劇場といった娯楽設備を整え、さらに出版技術が発達したのもこの時代です。
さらにこうした都市文化に刺激され特に上方の農村では商品作物の生産も盛んになり富に余裕のある農民も出現しました。
1600年代に新田開発がかつてないペースで進み農業技術の進歩もあって米作には余裕があったのです。
②元禄文化の特徴
元禄文化は貨幣経済の発展を背景にした文化なため華麗な側面があります。
また町人が中心となった文化ですので町人の在り方といった町人の美意識にまで話が及びました。
そうしたこともあり元禄文化は華麗で人間的な文化とされます。
そして余裕が出た町人の中には学問に関心を抱くものもいました。そのおかげで諸学問も発達したのです。
まずは華麗な要素から見ていきましょう。
華麗な一面は美術作品によく反映されています。
例えば、大和絵。土佐派と住吉派がしのぎをけずり、土佐光信・光起、住吉如慶・具慶といった優秀な絵師が誕生しました。
また大和絵ではありませんが、尾形光琳が装飾性に富んだ琳派と呼ばれる独自の画風を確立しました。
浮世絵が芸術として確立されたのもこの時期です。
菱川師宣が遊女をモデルに描いたことがきっかけです。遊女を描いたのは華麗な町人文化だからこそです。
また、綺麗な焼き物や染め物も作られました。家に飾ったり着て外出するためのものでしょうか。
焼き物では野々村仁清、尾形乾山、染め物では宮崎友禅が有名です。
次に人間的な要素を見ていきましょう。
一番有名なのは井原西鶴が中心となった浮世草子。浮世草子は町人や武士の生活を描いた小説のような読み物です。
人々が恋愛関係に耽る様を描いた好色物、町人の生活を描いた町人物、武士の生活を描いた武家物といったジャンルに分かれています。
また、劇場などの娯楽施設も整備されていったので人形浄瑠璃や歌舞伎も発達していきます。
人形浄瑠璃も当時の世相を反映して恋愛・心中・殺人などをテーマに描いた世話物、時代劇のような時代物といった2つのジャンルに分かれています。
特に近松門左衛門は脚本家として竹本義太夫は人形浄瑠璃の演者として有名でした。
また、俳諧もこの時期に盛んになり形式ばった俳句を嫌がり町人が自由に楽しめるように好きな用語と日常を描くことのできる談林派と呼ばれる一派を西山宗因は作り上げました。
西山宗因の弟子であった松尾芭蕉は談林派を発展させ俳諧を芸術にまで高め蕉風俳諧を作り上げました。
化政文化とは?
(富嶽三十六景 出典:Wikipedia)
化政文化は江戸後期に江戸を中心として花開いた文化です。
化政文化は元禄文化とはうってかわり派手な要素は少なくまた庶民も参加できるような文化でした。
また、派手な文化ではなく人々の移動も多かった時代なので地方に持ち込まれることもありました。
①化政文化の背景
寛政の改革が終わってからはしばらく平和で作物もよくとれる時代が続きました。
ネットコンテンツが花開く今がそうであるように平和であれば娯楽に回す余裕が出てくるものです。
しかも財政力がバックにないものですから庶民でも参加可能な大衆文化も盛んになっています。
また、貨幣経済が農村にも浸透したことや全国の城下町、港町などが発展を遂げたこと、そして誰でも参加できる文化であることも相まって地方にも波及していきました。
そして、この頃から外国が日本に接近したこともあり洋学が流入し今までの朱子学や幕府の体制に対して反発的な学問が芽生えたのもこの時期です。
②化政文化の特徴
化政文化は大衆文化が花開いた文化です。
例えば、歌舞伎。元々歌舞伎は庶民向けのものではありませんでしたが化政期には庶民でも鑑賞できるような価格帯になりました。
脚本家の鶴屋南北が手掛けた『東海道四谷怪談』は有名になりまた市川團十郎、尾上菊五郎などの名優も生まれました。
また、庶民生活の滑稽さをテーマにして描いた滑稽本、恋愛事情を描いた人情本、勧善懲悪をテーマにした歴史文学である読本、勧善懲悪や恋愛などをテーマに子供でも読めるような内容である合巻などの読み物が流行しています。
勧善懲悪や恋愛などは非常に分かりやすいシナリオなので庶民受けするのでしょう。
今も流行しているアニメや漫画、ドラマは悪を倒す主人公、最後は結ばれる二人などがテーマのものが多いですよね。
絵画では浮世絵が流行りました。
化政文化の浮世絵で押さえなければならないのは多色刷りの木版画技術が開発されたということです。
木版画は現代でいうところのコピー技術で多色刷りはいわばカラーコピーができるようになったということです。
そのおかげで浮世絵は爆発的に広まりました。安藤広重の『東海道五十三次』、葛飾北斎の『富嶽三十六景』は有名です。
また、一部の余裕のある町人の中には狩野派や土佐派などに絵を学び自らが画家となる人もいました。
画家でない人が手掛けた絵を文人画といいます。
さらに、庶民の中では今でいう聖地巡りのような旅行も流行。出版技術の広まりで日本各地のことを知れるようになった大衆が実際に自分の目で見てみたいと思ったのかもしれません。
これは今も文化として残っており、御蔭参り、西国三十三ヵ所、四国八十八ヵ所として広まりました。
そして、江戸の人間が地方を回れば地方にも江戸の文化が伝わります。
地方にも伝播していったのがこの時代の文化の特徴といえます。
以上が、各文化の特徴になります。
作品名や作家名を挙げるとキリがない上に実際に写真で見た方が記憶に残るので資料集や教科書で確認してみてください。
今回は画家や作家を覚えるときの補助のようにして使ってもらえばと思います。
化政文化と元禄文化の重要人物の覚え方
(近松門左衛門 出典:Wikipedia)
ざっくりとしたイメージをまずお伝えします。
- 元禄文化・・・華やかで人間的。
- 化政文化・・・地味。渋くて誰でも出来そう。一方で外国の影響もある。
元禄文化と化政文化には有名な語呂合わせがあるようです。
①元禄文化の覚え方
「元禄が、近い日を待つ」
近→近松門左衛門
い→井原西鶴
日→菱川師宣
を→尾形光琳
まつ→松尾芭蕉
②化政文化の覚え方
「家政婦の清子、家事・歌が好き」
き→喜多川歌麿
よ→与謝蕪村
こ→小林一茶
か→葛飾北斎
じ→十返者一九
歌→歌川広重(安藤広重)
た→滝沢馬琴(曲亭馬琴)
人物の名前もある程度覚えていればそこから連想的に他の作品、作家を思い出すこともあります。語呂合わせにない作家とその作品名もぜひ覚えていってください。
まとめ
✔ 元禄文化は江戸時代前期に上方中心に花開いた町人文化。
✔ 元禄文化は華麗で人間的と評される。
✔ 化政文化は江戸時代後期に江戸中心に花開いた文化。
✔ 化政文化は庶民でも参加できるような文化である。
✔ 化政文化は地方にも波及した。
✔ 化政文化の学問には洋学の影響がみられる。