【直接国税とは】15円以上納める25歳以上の男子に選挙権アリ!!現在の価値でいくら?

 

さて、明治時代になってくると選挙制度、税金の制度も確立されてきます。

 

かつての日本は年貢といって米や農作物を幕府に納めることによってその土地に住むことができたり、何かあったら守ってもらったりという仕組みでした。

 

しかし!だんだんと時代の変化につれて貨幣も流通し、労働をするようになり資本主義として働く・賃金をもらう・雇う・賃金を払うという仕組みも確立されてきました。

 

男女の労働の問題などは別の機会に説明するとして、今回は税金のこと『直接国税』についてわかりやすく解説していきます。

 

直接国税とは?

(黒田清隆 出典:Wikipedia

 

 

直接国税とは、名前の通り、政府・国に支払う税金という意味です。

 

当時の直接国税とは地租のことで、この時の内閣は黒田清隆内閣でした。

 

1889年、明治時代において衆議院の参政権(政治に参加する権利)の条件は『直接国税15円以上を払う満25歳以上の男子』というものでした。

 

当時、この条件に当てはまる人は全国民の1.1%しかいませんでした。

 

もろもろ指摘したい事項があるかもしれませんが、ここからは直接国税について、もっと掘り下げて解説していきます。

 

①地租って何?

ではその直接国税の地租って何かというと、土地を対象に課された税金のことです。

 

江戸時代、物納で税を納めさせていましたよね。

 

どのくらいの田畑に対してどれくらいの年貢米を納めればよいかという税率が藩によって異なっていたために、明治になってから税率を統一させるために導入された税金なのです。

 

「地方によっては米の豊作もあるし凶作もある」「米で税金をもらっていても安定しない」ということが背景にあるわけです。

 

で、地租という名前にして税金をお金でとれば全国から一定した金額を国が徴収でき、国の運営に使えるじゃないか!という流れです。

 

土地を持っている人は、今までは取れたお米などで納めていればよかったのに、地価の3%をお金で支払うということになってしまいました。

 

景気が良くても悪くても、自分の収入があってもなくても必ず支払わなければいけないものだったため、これはかなり大変なことでした。

 

②これによってどうなった?

もちろん国民は不満を持ちます。全国各地で農民一揆が多発しました。

 

茨城県の真壁では真壁騒動、三重、愛知、岐阜などでは伊勢暴動といってかなり大きな騒動になったのです。

 

なんと伊勢暴動では処罰者が5万人もでるレベルでした。

 

 

③1877年に3%から2.5%に軽減

明治政府は上記のような暴動や騒動をきっかけにでは、どうにかしようと2.5%まで引き下げました。

 

これを【竹槍で、ドンと突き出す二分五厘】と言われるようになりました。

 

④地租を徴収すること

土地を人々が所有することによって、それが個人の財産となるという考え方になりますよね。

 

そうなるとその土地を売り買いしたりそれを担保にしたりと世の中が動いてくるわけです。

 

土地をたくさん持っている人はそれだけ税金を支払っているイコール、お金があるということになります。

 

よって、土地をたくさん持っている人は参政権だったり世の中に影響を及ぼすことになります。

 

直接国税15円以上、現在の価値では?

 

 

現在の『60万から70万円くらい』と考えられています。

 

明治時代の物価は、もりそばが1銭、牛乳1本が3銭でした。

 

税金で60万から70万円を支払えるなんてそんな方なかなかいません。

 

しかも、この当時は土地を持っている人って現代とは違って農家の人がほとんどです。

 

江戸時代の先祖から引き継いだ土地にそのまま作物を植え、自給自足のような生活をしている一般庶民にとってみたらこの60万や70万という金額はどうでしょう。

 

今となってはお金持ちの人が土地をたくさんもっているという認識になりましたが、当時は農家の人が土地を持っている状態でした。

 

となるとこの直接国税を納めるということがどんなに大変なことか推測できると思います。

 

暴動や騒動が起こるのも理解ができると思います。

 

今ではこんな暴動や騒動なんて起こせませんよね。仮に消費税がアップされたとしても国民は収入が多かろうが少なかろうが否応なしに支払わなくてはいけません。

 

当時は「そんなの払えないよ!」という意見で国民が団結して政府の制度に逆らったりして自分たちの意見を主張できるような世の中でした。

  

その後の有権者の直接国税の金額

 

 

上記で説明したのは一番最初の選挙の有権者の資格の金額です。その後についても見ていきましょう!

 

その当時の内閣も誰の時なのかも併せて覚えましょう。

有権者の直接関税

・黒田清隆内閣1889年、直接国税を15円以上納める25歳以上男子

・山縣有朋内閣1900年、直接国税を10円以上納める25歳以上男子

・原敬内閣1919年、直接国税を3円以上納める25歳以上男子

・加藤高明内閣1925年、25歳以上男子 ※ここでようやく納税額のしばりがなくなってくるわけですね。

・幣原喜重郎内閣1945年、20代以上の男女(現在の選挙制度と同じ)

 

一番最初は現在の貨幣価値でいうと60万円⇒70万円⇒40万円⇒50万円程度に値下がり、そして最終的には12万くらいに減りました。

 

直接国税を納めるメリット

 

 

土地をもっていればその分税金を支払わないといけないということはわかります。

 

政府も何とかして国にお金を集めたいわけです。

 

今で考えるとわかりやすいですよね。消費税、自動車税、たばこ税、などなど・・・。

 

至るところからお金を取ろうとして国の収入源にしようとするわけです。

 

国に直接納めるものを直接国税、住民税などは自分が住む市区町村に支払うことになっていますから、これは間接税と言われます。

 

そして、当時は国がこれから作っていくという段階ですから選挙権は欲しいです。自分たちが選んだ人々で理想的な日本国家を建設していくということですから。

 

メリットはやはり将来のための選挙権です。

 

しかしながら、選挙権は上記のようなしばりがあったのです。これは国民にとっては不平等極まりないものですね。

 

まとめ

 直接国税とは土地に関する税金。

 多くの土地を持っている人はその土地の金額の3%を税金として(地租)国に支払わないといけなかった。

 直接国税15円以上納める人は全人口のたった1%程度しかいなかった。

 土地を持っているというだけで収入や不況にかかわらず支払わないといけないため国民の不満は大きくなる。

 地租に対して不満が大きくなり各地で農民の一揆が多発。その暴動で有名なのが真壁騒動や伊勢暴動。

 結果政府は3%から2.5%に税率を下げることにした。