【室町文化の特徴】小学生向け!!特色についてわかりやすく解説【まとめ】

 

今回は室町文化の特徴を、小学生のみなさんにもわかりやすいように説明していきます。

 

むずかしそうに思うかもしれませんが、実は室町時代の文化から今の私たちの生活にも直接つながっているものがたくさんあります。

 

例えば、畳の部屋や障子・生け花・浦島太郎などのおとぎ話・一休さんなど・・・

 

今回は、この『室町時代の特徴』について覚えにくい芸術なども含め、しっかり解説していきます。

 

室町文化の特徴

 

 

室町時代の文化は、まず「北山文化(きたやまぶんか)」が生まれ、「東山文化(ひがしやまぶんか)」へと発展します。

 

室町幕府は京都にありましたので、室町文化というのは京都が中心でした。

 

いまの京都っぽい上品なものがいろいろ流行ったんですね。

 

北山文化と東山文化

①北山文化は一休さんの時代

いきなりですが、「一休さん」の絵本やアニメを見たことがあるでしょうか?

 

あのとんち話は、実はあとの時代に作られたものなのですが、一休さんは本当にいた人なんです。一休さんがいた時代が、室町時代の最初のころです。

 

一休さんが屏風(びょうぶ)の虎を退治する話に出てくる将軍も本当にいた歴史上の人物です。3代将軍の足利義満(あしかがよしみつ)という人です。

 

この足利義満はハデなものが好きだったようで、超ハデハデな建物を作りました。それが金閣寺(きんかくじ)です。正式には「鹿苑寺金閣(ろくおんじきんかく)」といいます。

 

(金閣寺 出典:Wikipedia)

 

かべや柱に金をはってかざったので、金閣と呼ばれるようになりました。

 

この金閣寺は京都の北山というところにあって、もとは義満の別荘として建てられたものでした。

 

北山ではやった文化なので、義満の時代の文化は「北山文化」と呼ばれます。

 

義満は(中国)からいろいろなものを輸入したので、明の影響が強く出ています。

 

②東山文化

それから100年ほどあとのことです。

 

8代将軍の足利義政(あしかがよしまさ)は、京都の東山というところに別荘を作りました。

 

これが銀閣寺(ぎんかくじ)です。正式には「慈照寺銀閣(じしょうじぎんかく)」。

 

(銀閣寺 出典:Wikipedia)

 

ただ銀がはられているわけではないので、見た目はまあまあ地味です。

 

この義政の時代の文化は「東山文化」と呼ばれます。

 

室町文化について詳しく

(書院造の内装 出典:Wikipedia

①建築

この時代には書院造(しょいんづくり)というスタイルの建物が作られました。

 

では、書院造ってどんな家なんでしょうか?

 

書院造には現代の和風の家と同じように、床に畳をしきつめた座敷が作られました。掛け軸とか花とかを飾る床の間もあります。

 

違い棚(ちがいだな)という2枚の板を使った高さの違う棚も特徴です。これも今でも立派なお屋敷に行くと見かけますね。

 

また部屋と部屋の間をふすまで仕切ったり、明かりの入る障子(しょうじ)も使われたりしました。

 

つまり、いまも私たちの身近にある和風な家の造りというのは、だいたいこの書院造で生まれたものなんですね。

 

そして書院造の代表的な建物は、やはり銀閣です。

 

この他にもお寺なんかでよく見かける枯山水(かれさんすい)の庭も室町時代に完成しました。白い砂がしきつめられていて、うにょうにょっとした波のような線が描かれている庭のことです。

 

これは水を使わないで山や水といった自然を表現するという芸術的な庭なんですね。

 

龍安寺(りょうあんじ)の庭園が有名です。

 

 

(龍安寺の枯山水 出典:Wikipedia

 

②美術

室町時代の美術といえば、まず雪舟(せっしゅう)の名前があがります。

 

雪舟は墨だけで描く水墨画(すいぼくが)を得意としました。黒一色で自然を表現するというシブい絵です。この人はお坊さんでした。

 

(水墨画"如拙筆 瓢鮎図" 出典:Wikipedia)

 

雪舟がまだ小さいころの話です。

 

絵が好きだった雪舟は、いつも絵ばっかり描いていて、お坊さんとしての修行をサボっていました。それでついに怒られて、お寺の柱にしばりつけられてしまいます。

 

まだ子どもですから、えーんえーんと泣いていました。

 

しかし、あまりにも絵が好きだった雪舟は、柱にしばられている間もガマンできなくて、涙を足の指につけて、床に絵を描いたのです。

 

その絵があまりにも見事だったので、お寺のお坊さんたちは雪舟に絵の勉強をすることをゆるしたのだそうです。

 

そんな天才の雪舟は、おとなになると明(中国)にわたって絵の勉強をしました。日本へ帰ってくると、日本の各地をまわって絵を描きました。

 

「天橋立図(あまのはしだてず)」という絵が代表作です。

 

雪舟以外では狩野派(かのうは)の絵画が有名です。水墨画に日本風の大和絵の技を取り入れて、室町時代の終わりごろから明治時代まで受けつがれました。

 

③文学

南北朝時代に北畠親房(きたばたけちかふさ)が『神皇正統記(じんのうしょうとうき)』を書きました。

 

北朝と南朝に分かれて戦っていた時代に、南朝の天皇が正しいんだということを書いたものです。

 

 

また鎌倉時代から南北朝時代までの戦いを書いた軍記物(ぐんきもの)の『太平記』も生まれて、人々の間で語りつがれました。

 

室町時代に入ると、おとぎ草子(ぞうし)という短いお話が作られました。「浦島太郎」、「一寸法師」、「ものぐさ太郎」といったお話は、みなさんも絵本で読んだことがありますよね。

 

これらのお話ができたのがこの時代でした。

 

 

④芸術

いまでも伝統芸能として受けつがれている能楽(のうがく)も、この時代にはやりました。

 

能楽というのは、お面をつけて歌うお芝居です。いま見ることができる能楽は、室町時代の言葉を使っているんです。

 

(能面 出典:Wikipedia

 

 

能楽で有名なのは観阿弥(かんあみ)・世阿弥(ぜあみ)の父子です。

 

猿楽(さるがく)や田楽(でんがく)といった庶民の娯楽をもとに、芸術として完成させました。世阿弥は『風姿花伝(ふうしかでん)』という本で能楽について論じています。

 

また、能楽の合間には狂言(きょうげん)が演じられました。

 

狂言というのは日常の面白い話や武士などのえらい人をからかったりするような短い喜劇です。いまっぽくいえば、ショートコントみたいなものですね。

 

茶の湯(ちゃのゆ)が広まったのもこの時代です。いまでいう茶道ですね。

 

千利休(せんのりきゅう)という人が、お茶を飲むというなんでもないことを芸術にまで高めました。

 

(千利休 出典:Wikipedia)

 

 

また生け花の流行もこの時代です。つまり、いまも習い事なんかで残っている伝統的な芸能は、室町時代に生まれたものが多いんですね。

 

ついでに、みんなも夏休みに参加する盆踊り。これも室町時代にできたものがもとになっています。

 

⑤仏教

蓮如(れんにょ)というお坊さんが一向宗(いっこうしゅう)という仏教の宗派を広めました。

 

一向宗というのは浄土真宗(じょうどしんしゅう)ともいいます。わかりやすい説法で武士や庶民に人気だったそうです。

 

日蓮宗(にちれんしゅう)、臨済宗(りんざいしゅう)といった宗派もさかんになりました。

 

あ、そうそう。わすれちゃいけないのが、最初にいった一休さん。一休さんは一休宗純(いっきゅうそうじゅん)という名前です。

 

Portrait of Ikkyū by Bokusai.jpg

(一休宗純 出典:Wikipedia

 

禅宗(ぜんしゅう)のお坊さんとして名高い人でした。

 

まとめ

 北山文化は足利義満、東山文化は足利義政に保護されて花開いた。

 書院造は現在の和風の建物のもととなっている。

 明で絵を学んだ雪舟が水墨画を日本で大成させた。

 観阿弥・世阿弥父子が能楽を芸術として完成させた。

 茶の湯、生け花なども室町時代から生まれた。

 一休さんは実在した偉いお坊さん。