【大航海時代とは】わかりやすく解説!!目的や歴史的意義・日本への影響など

 

ポルトガルやスペインが新たな航路を開拓しようと始まった大航海時代。

 

ヨーロッパ、アジア、アフリカ、アメリカ大陸をつなぐグローバルな貿易時代へと突入していきました。

 

今回はそんな『大航海時代』についてわかりやすく解説していきます。

 

大航海時代とは 

 

 

大航海時代とは、15世紀末から17世紀の中頃、ヨーロッパ諸国がアジア、アフリカ、アメリカ大陸へとつながる新たな航路を開拓した時代のことです。

 

そのはじまりは、ポルトガルスペイン

 

当時ヨーロッパで需要が高かったアジアの香辛料をオスマン帝国の支配が及んでいた地中海経由とは別のルートを開拓し、直接仕入れようとしました。

 

大航海時代の背景や目的

(現存する最古"1502年"の平面天球図)

①大航海時代の背景

15世紀末、ヨーロッパ諸国が新航路を開拓しようとした背景には、3つのポイントがあります。

 

それは、オスマン帝国香辛料の需要羅針盤の発達

 

オスマン帝国は、13世紀末に建国されたイスラム教の国。最盛期を迎えた16世紀には、西アジア~東ヨーロッパ~北アフリカと三大陸におよぶ広大な領地を支配していました。

 

アジアとヨーロッパを結ぶ中継地点の地中海は、オスマントルコのイスラム商人に牛耳られ、ヨーロッパに輸入される貿易品には高い関税がかけられていました。

 

また、ヨーロッパでは肉食が広がりそれにともなって香辛料の需要が増えました。

 

香辛料は、主にコショウ、クローブ、ナツメグのことで肉の味付けや保存に使われ、ヨーロッパ人の食生活において、なくてはならないものでした。

 

しかし、香辛料はヨーロッパには自生しておらずイスラム商人を介し、関税をかけられた高価格でアジアから輸入するほかありませんでした。

 

さらに、中国(宋)で発明された羅針盤はヨーロッパで改良され、精巧な羅針盤にバージョンアップ。

 

船を正確な方向へ進めることができるようになり、長距離の航海を可能にしました。

 

大航海時代の目的

地中海経由で輸入され高値で取引されていた香辛料に目をつけ、ひと儲けしようと考えたのがポルトガルスペイン

 

大航海時代の幕開けとなるポルトガルとスペインの新航路の開拓は、オスマン帝国を通る地中海ルートとは別のルートを開拓し、アジアから直接香辛料を手にいれることが主な目的でした。

 

ヨーロッパ人が開拓した航路

(大航海時代の主な航路 出典:Wikipedia

ポルトガルの航路開拓

15世紀末からの本格的な大航海時代を前に、その先駆けとなったのが、ポルトガルの王子エンリケ。通称エンリケ航海王子と呼ばれています。

 

エンリケ航海王子は、香辛料の貿易ルートの開拓が目的ではなく、アフリカの“金”を求めてアフリカ西海岸へ進出しました。

 

そして、エンリケ航海王子死後、本格的にインド航路の開拓を目指す大航海時代がスタート。

 

1488年ポルトガル王ジョアン2世の支援を得たバルトロメウ・ディアスがアフリカ大陸の西海岸を南下し、南端の喜望峰に到達。

 

1498年ポルトガル王マヌエル1世の支援を得たヴァスコ・ダ・ガマは、喜望峰を超え、インド西岸のカリカットに到達。念願だったインドへの航路を開拓しました。

 

スペインの航路開拓

一方、スペインはアフリカ大陸廻りのポルトガルに対抗し、大西洋を横断する西廻りでアジアに行く航路を開拓しようとしました。

 

1492年スペインの女王イサベルの支援を得たコロンブスが西インド諸島サンサルバドル(カリブ海の島)に到達。

ここはコロンブスが目指していたインドではなく、当時ヨーロッパ人が知らなかったアメリカ大陸だったのですが、コロンブスは死ぬまでここがインドだと信じ続けていたようです。

 

その後、コロンブスが見つけたのはインドではなく、まだ知られていない“新大陸”であると認定したのは、アメリゴ・ヴェスプッチでした。

 

1519年マゼランがスペイン王カルロス1世の支援を受け、西廻りでモルッカ諸島(インドネシア)へのルートの開拓に出発。

 

モルッカ諸島は、クローブとナツメグの原産地で“香料諸島”と呼ばれていた島でした。

 

マザランは、スペインを出発すると、南アメリカ大陸南端でマゼラン海峡を発見し、ヨーロッパ人で初めて太平洋を横断

 

途中フィリピンに立ち寄った時、現地の人とトラブルを起こし、ここで命を落としました。

 

しかし、部下たちはそのまま航海を続け、モルッカ諸島を経由し、1522年にスペインに帰港。この航海が最初の世界一周となりました。

 

大航海時代の歴史的意義

経済の拠点が地中海沿岸から大西洋沿岸へ

 大航海時代が到来し、これまでの地中海経由の東方貿易から大西洋を経由する海洋貿易へシフトチェンジ。

 

東方貿易の拠点として繁栄した北イタリアのヴェネツィアやジェノヴァが衰退し、ヨーロッパ経済の中心は、スペインのセビリアやポルトガルのリスボンなど大西洋岸の都市に移りました。

 

このように、世界規模で商業や貿易システムが転換したことを商業革命といいます。

 

②貨幣価値の下落と封建社会の崩壊

アメリカ大陸の植民地化をはじめたスペインは、1545ポトシ銀山(ボリビア南部)を発見。銀山を独占し、ヨーロッパに大量の銀を持ち込みました。

 

当時、ヨーロッパでは銀を貨幣としていたため、大量の銀の流入は貨幣の価値を下落させました。

 

貨幣価値が下がると次に起こるのは物価の上昇。実際、物の値段は23倍に上昇しました。これを価格革命といいます。

 

この貨幣価値の低下によって、ダメージを受けたのは貴族たちでした。

 

当時、貴族は農民たちから定期的に納められる地代を収入源としていました。

 

貨幣価値が下がることは収入が減ることと同じ。貴族の力は失われ、ヨーロッパの封建社会が崩壊するきっかけとなりました。

 

③アメリカ大陸の新食材が普及

アメリカ大陸からこれまでヨーロッパになかった様々な新食材が持ち込まれました。

 

例えば、ジャガイモ、トマト、カボチャ、トウモロコシ、ココア、トウガラシ、落花生、タバコなどです。

 

トウモロコシはコロンブスが持ち帰ったことで、スペインで栽培が開始され、その後インドや中国、アフリカ、東南アジアまで広く普及。

 

大航海時代は、世界規模で食文化にも影響を与えたといえます。

 

日本への影響

 

 

大航海時代、日本にまずやってきたのはポルトガル人でした。

 

正確には日本に来るのが目的ではなく、たまたま漂着しただけですが…。

 

1543年ポルトガル人が乗った中国船が種子島に漂着。この時、日本に鉄砲の技術が伝わりました。

 

1549年には、アジアでキリスト教の布教活動をしていたイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルが来日。日本になかった新たな価値観や考え方をもたらすキリスト教布教の第一歩となりました。

 

その後、ポルトガル商人、スペイン商人が日本との間で南蛮貿易をスタート。

 

ヨーロッパから火薬や毛織物、メガネ、コップ、鏡といったガラス製品が輸入されました。

 

まとめ

・大航海時代は、ポルトガルとスペインを筆頭に、アジア、アフリカ、アメリカ大陸へとつながる新たな航路を開拓した時代のこと。

・大航海時代のきっかけは、ポルトガルとスペインが大西洋ルートでアジアから香辛料を直接仕入れようとしたこと。

・インド航路を初めて開拓したのは、ポルトガル王が支援したヴァスコ・ダ・ガマ。

・コロンブスが発見した大陸がアメリカ大陸だと認定したのはアメリゴ・ヴェスプッチ。

・大航海時代の影響で、ヨーロッパ経済の拠点が地中海沿岸から大西洋沿岸へ移った。