日本の戦の仕方は戦国時代以前は槍や弓などで相手を倒すのが一般的でしたが、戦国時代に入ると弓よりも格段に威力が強い鉄砲が伝来しました。
今回はそんな『鉄砲伝来』についてわかりやすく解説していきます。
目次
鉄砲伝来とは?
(種子島の火縄銃 出典:Wikipedia)
鉄砲伝来とは、1542年に種子島に火縄銃が伝来した出来事のことを言います。
この鉄砲の伝来によって日本の戦は大きく変わっていくことになりました。
鉄砲伝来までのヒストリー
①突如やってきた中国船
1541年のとある日、ポルトガルの商人は中国船に乗船して航海をしていました。
しかし、東シナ海は嵐が起きやすく流されやすい海であったためこの中国船は流されてしまい、薩摩国の一部である種子島に漂流してしまいます。
種子島の住民からしたら突如として中国船が現れて、さらにその乗組員の中にはポルトガル人という当時の日本人からしたら未知との遭遇とも言える人も含まれておりびっくりしたことでしょう。
しかし、冷静になってからこのポルトガル人の言葉はわからないけど、中国人との筆談なら自信がある1人の住民が事情を聞いてみました。
聞いてみたところこのポルトガル人は商人であり、さらに未知の武器を持っていることがわかりました。
この未知の武器は弓では届かないところでも余裕で届き、さらにいとも容易く倒すことができるなど魅力的な武器で、これを聞いた当時の種子島の領主である種子島時尭はこの未知の武器を二挺で2000両(2億円)という莫大な額で買収。
これが日本人が最初に鉄砲という武器に出会った瞬間でした。
②鉄砲を作ってみよう
こうして買ってみた鉄砲。しかし、たとえ便利といえども二挺だけだったらなんか意味がない。
そこで種子島時尭は地元の刀の鍛冶屋に対して買った鉄砲を作ってみてくれという依頼を出します。
しかし、鍛冶屋からしたら鉄砲という新しい武器なんて見たことも聞いたこともありません。
さらに鉄砲には弾を撃った時に着くすすを取り除くためにネジを使っていましたが、当時日本にはネジなんてものはありませんでした。
しかし、鍛冶屋は悪戦苦闘しながらネジの仕組みを完全理解し、わずか一年で鉄砲の国産化に成功します。鍛冶屋の執念おそるべし。
ちなみに、鉄砲は種子島とも言われますがこれは初めて国産化に成功した種子島の土地にあやかってつけたものです。
③根来寺による大量生産
種子島で鉄砲の国産化に成功したというニュースは日本各地に伝わり、商人などはこの新しい武器に目をつけ始めていきます。
そんな中紀州(和歌山県)の根来寺では種子島時尭に対して直接交渉して鉄砲を入手します。
(根来寺 出典:Wikipedia)
この根来寺という寺は平安時代に開かれた寺であり、2万人の僧兵と紀州を実質的に支配していた武装集団の親玉でもありました。
余談ですが戦国時代を扱っているゲームの中のキャラクターの中に鉄砲をスペシャリストである雑賀衆という集団がいますが、この雑賀衆は根来寺と同じく紀州の武装集団であり根来寺の鉄砲を使っていたそうです。
話を戻してこの根来寺は種子島の時と同じく刀の鍛冶屋に頼み、そしてあっさりと作ったそうで鉄砲伝来から3年後には堺から製作の注文が入るなど鉄砲の一大生産地として名が知られるようになります。
さらに近江の鍛冶屋がたくさん在住していた国友でも同じく鉄砲が作られ始め国友は織田家の鉄砲部隊を支える一大生産地となっていきました。
【鉄砲伝来の影響】鉄砲が変えた戦の仕組み
日本ではこれまで槍や刀などで直接相手を倒す白兵戦が行われてきており、飛び道具といえば弓か石しかありませんでした。
しかし、鉄砲が伝来したことによって戦いは鉄砲を使った戦へと変わっていくことになります。
まず、これまでの白兵戦をするとあっさり鉄砲の餌食になることもあって戦場で敵と味方が直接戦う白兵戦が行われることがなくなり、また鉄砲の攻撃力があまりにも大きかったため、城攻めや戦をする時には防御を固めて鉄砲の攻撃を受けないように慎重に進めることが増えていき戦に時間がかかるようになりました。
そのため、これからの戦は大量の財力を持っており、なおかつ長戦になった時も戦争を続けられるように補給ルートの確保や兵農分離を進めていった織田家などのような大名が戦に勝つようになりました。
その新しい戦の代表例が1575年に織田家と武田家との間で行われた長篠の戦いです。
この戦いでは3000挺の鉄砲を擁した織田軍によって赤備えと恐れられていた武田家の騎馬隊を壊滅的な被害を与えたというまさしく時代を変える大きな戦でもありました。
鉄砲の弱点
(一列に並び射撃の構えをする足軽 出典:Wikipedia)
①意外と高い鉄砲の値段
戦の仕組みを大きく変えた鉄砲ですが、この鉄砲を多用した戦国大名は多くはなく、使われることがないこともありました。
その理由は何と言ってもその鉄砲の値段。当時日本は戦国時代といういろんな人が群雄割拠していた時代でしたので鉄砲の値段はまちまちでしたが、例として越後の上杉家の場合だったら1挺250万円、国友や堺を手に入れていた織田家ですら1挺75万円という高級品でした。
さらに鉄砲は火薬を使わなければ意味がありません。
しかし、その火薬の原料の1つである硝石が日本では全く取れず、南蛮貿易に頼るしか出来ず、鉄砲用の火薬ですら1発撃つのにで米一升分かかっていたそうです。
そのため鉄砲本体でも高いのに鉄砲を撃つだけでも今の価格に直すと3万円ぐらいの費用が軽く吹っ飛ぶというとんでもない代物だったのです。
そのため普通の兵士が鉄砲を使うことはほとんどなく、鉄砲だけの訓練を行った兵士のみが扱うようになっていました。
②撃つのに時間がかかる
(一斉射撃を行う足軽 出典:Wikipedia)
日本に伝来してきた鉄砲は別名火縄銃と呼ばれており、火縄に付いている火を火薬につけて爆発した反動を使って弾を飛ばしていました。
しかし、その準備がとんでもないもので・・・
✔ まず鉄砲の中に火薬を詰め込む
✔ 弾丸を詰め込む この時棒を使って押し込みます
✔ 火蓋を開けて点火薬を入れる
✔ 狙いを定めて構えて撃つ
という大変めんどくさい作業をしなければならず、さらにその準備の時間1分もかかるという弱点を持っていました。
もし戦の時に準備している間に騎馬隊が攻め込んできたらその時点でおしまいですしね。
さらにこの頃の銃は火薬に火をつけなければいけなかったので雨の時は使えません。
しかし、戦国大名たちは三段撃ちや馬防柵の設置などこの弱点をカバーするように努力していき、徐々にこのような弱点は無くなっていきました。
鉄砲伝来の年号の覚え方
鉄砲伝来の年号の覚え方は沢山ありますが、鉄砲は値段がかかることも合わせて覚えて欲しいので
「以後予算(1543年)がかかる鉄砲伝来」
と覚えておくのがいいでしょう。
まとめ
✔ 鉄砲伝来とは1542年に種子島にポルトガル人が鉄砲を売って日本に鉄砲が入ったこと。
✔ 種子島に鉄砲が売られてから日本人は鉄砲の国産化を成功させ、根来寺や国友村を中心に生産されるようになった。
✔ 鉄砲が伝来して以降、戦は鉄砲に備えるようになり持久戦が増え始め、財力がある大名が有利となった。
✔ 鉄砲は日本の戦を変えたが、雨に濡れると使えないことや、値段が高いなどの弱点もあった。