【大西洋三角貿易とは】わかりやすく解説!!背景や内容・特徴・影響など

 

大西洋?ヨーロッパとアメリカの間の海ですよね。日本史には全然関係ないんじゃないの?いえいえ。これが大ありなんです。

 

今から200年くらい前、世界はヨーロッパ人の手に握られていました。

 

どうしてヨーロッパ人がそんなに強くなったのか。それは、そのさらに100年くらい前に盛んにおこなわれた大西洋三角貿易が原因でした。

 

ヨーロッパ人が強くなり、世界の海を支配したからこそ、幕末に日本近海に彼らが現れたのです。

 

今回は、ヨーロッパ、特にイギリスを強くした大西洋三角貿易についてわかりやすく解説していきます。

 

大西洋三角貿易とは

(大西洋三角貿易 出典:Wikipedia

 

 

17世紀から18世紀にイギリスなどが大西洋で行った貿易のことです。

 

イギリスはこの三角貿易で莫大な利益を得て、産業革命の元手にしました

 

大西洋三角貿易の背景

(ヴァスコ=ダ=ガマ 出典:Wikipedia

①大航海時代の始まり

ポルトガルのヴァスコ=ダ=ガマはアフリカの喜望峰を回って、インドのカリカットに到着しました。

 

それまでヨーロッパ人はインドや東南アジアの産物、特にコショウなどの香辛料をイスラム商人からかなりの高額で買うしかありませんでした。

 

なぜなら、インドとヨーロッパの間はイスラムの国々(イランやオスマン=トルコ)が支配していて、高い税金をかけていたからです。

 

ヨーロッパ人にとってイスラムを経由せずに安く香辛料を買うのは夢でした。ガマのインド到着はヨーロッパ人の夢がかなった瞬間だったのです。

 

②“新大陸”での労働力不足

大航海時代にヨーロッパ人が“みつけた”南北アメリカ大陸は新大陸と呼ばれました。

 

16世紀にポルトガルやスペインが新大陸を征服、原住民のインディオを労働力として使っていました。

 

ところが、インディオたちはヨーロッパ人が持ち込んだ病気や過酷な支配のせいで急速に数を減らしました。

 

その結果、新大陸では労働力が不足していたのです。

 

③ヨーロッパでの砂糖や綿花の需要

高緯度であるヨーロッパの気候は砂糖や綿花を作るのに適していません。

 

これらの品物をヨーロッパに運べば、確実に儲けることができました。

 

しかし、産地である新大陸は労働力が少ないので、十分な数の砂糖や綿花を作ることができませんでした。

 

大西洋三角貿易の内容

(アフリカの奴隷狩りの様子 出典:Wikipedia

①西アフリカ諸国による奴隷狩り

アフリカでも他の地域と同じく部族や国の争いが起きていました。

 

そこにヨーロッパ商人がやってきて「戦争で捕まえた人間を買いたい。必要な武器は俺たちが売ってやろう。」と西アフリカの国々に持ちかけました。

 

ヨーロッパ商人たちとの商売で儲かると考えた西アフリカ諸国は積極的に奴隷狩りを行い、捕まえた人々奴隷として売り払いました。

 

②奴隷船による輸送

(奴隷船の内部構造)

 

 

西アフリカで奴隷を買った商人(主にイギリス人)は、奴隷船で黒人奴隷を新大陸に輸送しました。到着する前に栄養失調や伝染病、自殺、反乱などで多くの黒人奴隷が命を落としました。

 

新大陸に運ばれた奴隷たちは、現地の農園で働かされました

 

彼らは、「黒い荷物」とも呼ばれました。

 

③黒人奴隷を働かせる農園

白人の農場主は黒人奴隷を使って農作物をつくらせました。

 

北アメリカではタバコや綿花、中南米では砂糖やコーヒーがつくられました

 

④ヨーロッパで農産物を販売

砂糖やサトウキビを原料とするラム酒、タバコ・綿花などがヨーロッパに向けて送られました

 

砂糖を中心とするこれらの農産物などは「白い荷物」と呼ばれました。

 

イギリスは黒い荷物である黒人奴隷と、白い荷物である砂糖などにより莫大な利益を上げました。

 

大西洋三角貿易の影響

(イギリスの産業革命 当時の鉱夫 出典:Wikipedia

①イギリス

大西洋三角貿易で最も大きな利益を得たのがイギリスでした

 

黒い荷物である奴隷貿易とっ白い荷物である砂糖貿易で得た利益をもとに、綿工業を発展させました。

 

新大陸で大量に綿花を生産させ、安い綿花で綿織物を大量生産、機械を発明して生産量を爆発的に増やして世界中に安い綿の衣服を売りまくりました。

 

大西洋三角貿易のもうけを使って、イギリスは産業革命を成し遂げて世界ナンバー1の国に成長していったのです。

 

②北アメリカ植民地

イギリスからの移民が中心となって作られたのが北アメリカの植民地(13州植民地)でした。

 

ラム酒の生産を請け負ったり、造船や海運が盛んになって13州植民地も豊かになりました

 

貿易の中心地としてニューヨークやボストンが発展したのもこのころからです。

 

イギリス本国は発展した北アメリカ植民地から税金を取り立てようとして、次第に対立を深めました。これが、のちのアメリカ独立戦争の原因の一つになります。

 

③西インド諸島

西インド諸島にも大勢の黒人が運ばれました。

 

黒人たちの人口は次第に増加していきましたが、白人農場主らは食料の生産よりも儲かる作物である砂糖やコーヒーの生産を優先させました。

 

その結果、これらの島々は何度も食糧難に襲われてしまいます。

 

産業を自立させることよりも、ヨーロッパ人の欲しいものだけを生産する場として扱われたため、現地の人々の生活は貧しく、経済的にも弱い地域となっていきました

 

政治や経済は欧米人の影響を強く受け、彼らの都合が優先されました。

 

④西アフリカ

生きている人たちだけでも約1000万人の成人男女が新大陸へと連れ去られました。途中で死亡した人などを含めると、数千万規模の人々がアフリカからいなくなってしまいました。

 

これだけ多くの若者が連れ去られると社会の発展は遅れてしまいます。

 

大西洋三角貿易が盛んになるにつれ、西アフリカやその周辺の地域に強力な国は現れなくなります。

 

19世紀の帝国主義の時代にはエチオピアなどのごく少数の例外を除いて、イギリスやフランスの植民地にされてしまうのも、人口が少なく、弱い地域にされてしまったからです。

 

まとめ

 大西洋三角貿易とは、イギリスが中心になって行ったヨーロッパ・アフリカ・新大陸間の貿易のこと。

 ヨーロッパからアフリカに武器、アフリカから新大陸に奴隷、新大陸からヨーロッパに砂糖や綿花などが運ばれた。

 この貿易で最も大きな利益を上げたのがイギリス人だ。

 イギリスは貿易の利益を元手にして産業革命に成功した。

 北メリカ植民地のイギリス系住民も独立に必要な資金を蓄えた。

 西インド諸島はヨーロッパ人が必要とする品物だけを作らされたので偏った経済になった。

 アフリカ諸国は人口が減少し、国力が低下した。