【斎藤義龍(高政)とは】「麒麟がくる」でも登場!!人物像や経歴をわかりやすく解説!

 

NHK大河ドラマ『麒麟がくる』が、いよいよスタートしましたね!

 

NHKの2020年大河ドラマのテーマは、織田信長を本能寺で打ち取ったとされる知将・明智光秀(あけちみつひで)とその周辺の人々がテーマとなっています。

 

これまでスポットがあてられることが少なかった明智光秀が主人公となる『麒麟がくる』は、放映開始前から大変話題になっているNHK大河ドラマなんです。

 

そんな大河ドラマ『麒麟がくる』では、明智光秀に関わる人物もたくさん登場します。

 

それは明智家だけにとどまらず、明智家の主君であった戦国大名の斎藤家にまで及びます。

 

特に、斎藤家の家系は特に深く、父親を殺した斎藤義龍(高政)は、歴史ファンの間でも大変有名な人物でもあります。

 

 

今回は、大河ドラマ『麒麟がいく』で大注目必須の、斎藤義龍(高政)について、人物像や経歴について、わかりやすく解説していきます。

 

斎藤義龍(高政)の生涯

(斎藤 義龍 出典:Wikipedia

 

では、斎藤義龍はどのような経歴の持ち主なのでしょうか?

 

斎藤義龍は、かんたんにまとめると、”戦国時代に大活躍した、とても力を持つ武将”です。

 

斎藤義龍の生涯年表

 

  • 1527年 斎藤道三の長男として生まれる
  • 1541年 父・斎藤道三が美濃国主となる
  • 1554年 父・斎藤道三より、家督を譲られ稲葉山城城主になったとされている
  • 1555 年 叔父とされる長井道利と共謀し、斎藤道山を追放。弟も殺させた
  • 1556年 父・斎藤道三と長良川の戦いで勝利、討ち取る 
  • 1559年 足利幕府の相伴衆(しょうばんしゅう)に列せられ、戦国大名の大義名分を得る
  •  1561年 左京大夫(さきょうたいふ)に任ぜられるも、その後急死(享年35歳)

 

ご覧の通り、斎藤家は親子仲が非常に悪く、最終的に斎藤義龍が父、弟を討ち取る形となっています。

 

かつ、斎藤義龍本人も35歳の若さで亡くなるという壮絶な人生を歩んでいます。

 

では、斎藤義龍の形跡を追っていきましょう。

 

斎藤義龍の人物像と壮絶な人生

 

斎藤義龍は、なんと当時ではかなり身長が高かったようで、推定約197cmもある大男だったとされています。

 

斎藤義龍の父は斎藤道三、妻は近江の方(おうみのかた)で、息子には後に斎藤家の家督を継ぐことになる斎藤龍興(さいとうたつおき)と、絶世の美女とされる娘の馬場殿(うまばどの)を設けていたとされています。

 

Saito-Dozan-2.jpg

(斎藤義龍の父「斎藤道三」 出典:Wikipedia)

 

一般的な歴史認識として、斎藤義龍は、美濃国(現在の岐阜県)の戦国大名・斎藤道三の長男とされています。

 

タイトル内の【斎藤義龍(高政)】という表記なのは、当初斎藤義龍自身が元服後に名前を斎藤高政と名乗ってた時期があり、その後、義龍に改名したからです。

 

母は深芳野(みよしの)と言い、斎藤道三の側室の女性です。

 

母親は深芳野で間違いないそうですが、父親には諸説あるとされています。

 

①斎藤義龍の父は斎藤道三ではない!?

斎藤義龍の母である深芳野は、実は斎藤道三の側室になる前は、美濃国の守護大名だった土岐頼芸(ときよりあき/よりなり/よりのり/よりよし、とも)の妾(めかけ/事実婚相手)だったという説もあるからです。

 

当時、土岐頼芸の家臣だった斎藤道三に譲られた美女だったとされる深芳野ですが、この時すでに土岐頼芸の子を身ごもっていたとされています。

 

そのため、よく時代劇やドラマではこの子が斎藤義龍だったという設定がなされており、大河ドラマ『麒麟がいく』でも採用されています。

 

このあたりのドロドロした相関図を、大河ドラマ『麒麟がくる』ではどのように描がくのかにも注目です。

 

②斎藤義龍の親子関係

斎藤義龍と斎藤道三の家族関係は、それはもう歴史上に残るほどの対立がありました。

 

斎藤道三は斎藤義龍を「無能」と称し、斎藤義龍よりも弟たちをかわいがっていたという話もあったほど。

 

これは親子関係であっても、嫌な気分ですよね。

 

とはいえ、そこまでに憎しみあうのか?という位にこの2人は思い切り対立していたようです。

 

例えば、父・斎藤道三の使用していた二頭立浪(にとうたつなみ)の家紋を継承しなかったという説もあります。

 

Fichier:家徽.jpg

(二頭立浪 出典:Wikipedia)

 

このことからも、斎藤義龍は土岐頼芸の息子であった可能性を信じたくもなります

 

③父VS息子~斎藤義龍は有能だった~

親子関係悪化は、父・斎藤道三を追放、そして最終的に戦いにまで発展します。

 

それが、1556年の長良川の戦い(ながらがわのたたかい)です。

 

鵜飼大橋 2.jpg

(現在の長良川 出典:Wikipedia

 

ここで、斎藤義龍についたのは旧土岐氏をはじめ、明智氏も参戦!

 

この勢力は、斎藤義龍に協力し、協力して斎藤道三を討ち取ったのです。

 

斎藤道三は、かつて息子・斎藤義龍を「無能」と評したことを後悔したといいます。

 

さらに、この戦のあと斎藤義龍は、家臣に弟たちも暗殺させたと言われています。

 

④斎藤義龍、戦国大名となる

こうして斎藤義龍は父を討ち取ったものの、当時の室町幕府の将軍だった足利義輝に認められ、出世街道を走っていきます。

 

(足利義輝 出典:Wikipedia)

 

最終的に、相伴衆(しょうばんしゅう)という室町幕府における役職的な身分を与えられ、戦国大名としての地位を確立したのです。

 

⑤志半ばでの急死

斎藤義龍は、戦国大名の地位を確立したにもかかわらず、1561年に急死。

 

死因は明らかとなっていませんが、斎藤義龍はハンセン病を持病として持っていたとされており、ハンセン病が死因としてあったのではないか?と考えられています。

 

大河ドラマ『麒麟がくる』で斎藤義龍は誰が演じるのか?

大河ドラマ『麒麟がくる』で、有能ながらも父殺しと呼ばれた斎藤義龍を演じるのは、ドラマや映画、舞台、バラエティなどで幅広く芸能活動をしている、伊藤英明さん

 

 

なんと、伊藤英明さんは、偶然にも岐阜県岐阜市のご出身です!

 

同じく美濃国(当時の岐阜県)にゆかりのある人物を演じることから、ある意味適役なのではないか!?と思います。

 

そのため、伊藤英明さんの、ネイティブの美濃弁が聞けることでしょう!

 

また、伊藤英明さん自身も身長183cmと高身長であることから、史実でも高身長の斎藤義龍役はアタリ役といってもよいのではないでしょうか?

 

 

まとめ

まとめ

 

 斎藤義龍(高政)は当時の日本人にしては高身長で、なんと197cmあった模様。

 

 斎藤義龍は、当初斎藤高政とも名乗っていた。

 

 斎藤義龍は、斎藤道三と側室の深芳野の間に生まれたとされているが、一説には土岐頼芸が父ではないか、ともされているが、父が誰なのかは謎に包まれている。

 

 斎藤義龍は父・斎藤道三と険悪だった。

 

 険悪が高まり、最終的に斎藤道三を討ち取ることになり、”父殺し”となる。さらに弟も殺させる。

 

 しかし、室町幕府からは功績を認められ、出征街道まっしぐら。幕府の要職を担うまでになり、戦国大名の名前を確立した。

 

 斎藤は35歳という若さで亡くなっており、その原因は持病のハンセン病ではないかという説がある。

 

 大河ドラマ『麒麟がくる』では、岐阜県出身の俳優・伊藤英明さんが斎藤義龍を演じる。