【韓国併合条約とは】簡単にわかりやすく解説!!内容や条約までの流れなど

 

なんだかニュースを見ているとよく日韓関係が取り上げられます。

 

日韓関係は竹島問題やら慰安婦問題のせいでかなり冷え込んでいるとか・・・。

 

しかし、韓国は1910年から第2次終戦の1945年まで日本の領土だったのです。なぜ韓国は日本の領土になったのでしょうか?

 

今回は、そんな韓国が日本に併合されることとなった『韓国併合条約』について、わかりやすく解説していきます。

 

韓国併合条約とは?

 

 

韓国併合条約とは、1910年(明治43年)に当時の大韓帝国が日本に併合されてしまう条約です。

 

正式名称は「韓国併合ニ関スル条約」です。

 

これによって長年朝鮮半島を支配してきた李氏朝鮮は滅亡することになりました。

 

韓国併合条約締結までの経緯

①第一次日韓協約

日本は日清・日露戦争によって朝鮮半島における影響力を手に入れることができました。

 

朝鮮半島の影響力を手に入れた日本は早速韓国に第一次日韓協約を無理やり結ばせます

 

この協約によって、財政顧問に日本人を推薦して大韓帝国政府内への影響力を強めたり、暗殺された親ロシア派の閔妃がロシアにあげた関税権を取り戻したりするなど日本による保護国化を進めていきます。

 

②桂・タフト協定

(桂太郎 出典:Wikipedia

 

 

日本はアメリカと桂・タフト協定を結びました。

 

協定の内容

  • 大日本帝国は、アメリカ合衆国の植民地となっていたフィリピンに対して野心のないことを表明する。
  • 極東の平和は、大日本帝国・アメリカ合衆国・イギリス連合王国の3国による事実上の同盟によって守られるべきである。
  • アメリカ合衆国は、大日本帝国の韓国における指導的地位を認める。

 

簡単にこの協定をまとめると『日本は韓国を自分のものにしてもいいけどそのかわりフィリピンはアメリカのものね!』というものです。

 

ついに韓国はアメリカから見捨てられたのです。

 

③第二次日韓協約

アメリカからゴーサインをもらった日本はありがたく韓国を呑み込もうとします。

 

その象徴が第二次日韓協約でした。

 

この協約は韓国の外交権はほぼ日本がやっていくということが書かれており、実質韓国は日本の操り人形となります。

 

そして首都の漢城には朝鮮統監府(ちょうせんとうかんふ)が設置されることになりました。

 

(朝鮮総統監府庁舎 出典:Wikipedia

 

 

しかし、それに怒った韓国の皇帝の高宗はハーグで行われていた第2回万国平和会議という会議に『日本ってこんな酷いことやっているんですよ』と書かれた手紙を持った密使を派遣します。

 

これをハーグ密使事件といいます。

 

 

しかし、列強諸国は『いやそれ別にルール違反じゃないですよ。というか、あなたの国、一層のこと日本になっちゃえば?』と言われてしまいます。

 

さらに日本は列強から『こんなこと言われたんですよ』と聞かされ韓国に圧力をかけます。

 

まさに踏んだり蹴ったりの韓国。ついには第三次日韓協約によって内政権までぶんどられてしまいました。

 

日韓併合条約の内容

(韓国併合条約に関する李完用への全権委任状 出典:Wikipedia

 

 

日本は日韓併合条約によってようやく韓国を日本にします。

 

この条約によって大韓帝国の皇帝であった純宗は皇帝をやめさせられ、長年朝鮮半島を支配してきた李氏朝鮮時代が終わりました。

 

日韓併合条約の内容は韓国の全権利を日本に譲るというものですが、そもそも韓国はとっくの昔に日本に内政権をあげているので『こんなことしなくてももうとっくの昔に韓国は日本のものなのでは?』と言われることもありました。

 

しかし、これによって朝鮮半島は日本の領土としてやっていくことになります。

 

この併合から韓国は朝鮮と呼ばれるようになりますが、これは関東地方や近畿地方みたいな感じです。

 

韓国併合後の朝鮮

(1889年 大韓全図 出典:Wikipedia

①名前変更

韓国が併合されてから日本は韓国に対して改革を行なっていきます。

 

例えばこれまで朝鮮を担当してきた朝鮮統監府は併合した後に朝鮮総督府(ちょうせんそうとくふ)と名前を変えます。

 

さらに首都の漢城も日本風に京城と改名します。

 

②土地調査

そして最初の大事業として日本は朝鮮の土地を調べ上げていきます。

 

これまで朝鮮には土地を購入するという意識は全然なく、『ここの土地を開拓したからこの土地は俺のね』みたいな日本でおける墾田永年私財法みたいな感じでした。

 

しかし、それではこれから日本がやっていきたい朝鮮の改革がうまくいきません。

 

そこで日本は土地を全て調査してその土地を総督府のものにします。

 

もちろんただ奪うだけではなく調査が終了したらその土地を安い値段で払い下げをしました。

 

しかし、この調査によって朝鮮の農民は苦しい生活になっていきます。

 

③教育改革

朝鮮の現状として文字を読める人があまりいませんでした。

 

今の日本では文字が読めないなんてありえないぐらいほとんどの人が文字が読めますが、今の時代でもアフリカの貧しい国に行ったら文字が読める人があまりいません。

 

日本は『いろんな改革をするにはまず人々に文字を読ませなきゃ!』と思い教育を推し進めます。

 

この改革によって朝鮮の識字率は6%から22%まで上がりました。

 

22%でも少ないと思いますが、かなりの進歩です。

 

④身分解放

日本はこれまで朝鮮で存在していた身分制度を廃止しました。

 

これによって李氏朝鮮時代には人間として扱われず、名前を持つことも許されていなかった奴婢、白丁などの差別されていた人々にも名前を持つことを許して戸籍には身分を書かずに登録させました。

 

これによって身分解放された人々の子供たちは胸を張って学校に通えるようになり、みんな平等にふつうの生活を送ることができるようになりました。

 

しかし、この身分解放に反発する朝鮮における一番偉いグループである両班という人たちはこの改革に反発して激しいデモを行ってきましたが、身分にかかわらず教育機会を与えるべきと考える日本政府によって即座に潰されました。

 

このような改革によって韓国は曲がりなりにも近代化の道を歩んでいくことになっていくのです。

 

 

まとめ

 大韓帝国は第一次日韓協約から朝鮮に対する圧力を強めていった。

 日本は桂・タフト協定でアメリカに朝鮮の支配を認めてもらい、ハーグ密使事件で列強諸国に朝鮮の支配を認められた

 日本は韓国併合条約によって長年朝鮮半島を支配してきた李氏朝鮮が終わった

 日本は併合した後朝鮮の土地を調べたり、教育改革を行なって識字率を上げたり、身分を解放したりするなど朝鮮の近代化をしていった。