第五福竜丸事件」といわれると、場所やざっくりした内容は浮かぶ人が多いのではないでしょうか?

 

日本が世界に誇る某怪獣映画のきっかけになった事件としても知られていますね。

 

今回は、この『第五福竜丸事件』の全容やもたらした影響など、簡単にわかりやすく解説いきたいと思います。

 

第五福竜丸事件とは? 

(放射線検査を受ける乗組員 出典:Wikipedia)

 

 

第五福竜丸事件とは、1954年(昭和29年)太平洋・マーシャル諸島のビキニ環礁近くで、日本の遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」が、アメリカの水爆実験に巻き込まれ、死の灰を浴びたことで被爆した事件のことです。

 

広島・長崎につぐ第三の原爆(水爆)被害を受けたとして、国内で大きな問題となりました。

 

戦争後の世界情勢

戦後の冷戦

第二次世界大戦後の世界はいわゆる「冷戦」という時代に入ります。

 

 

1945年のヤルタ会談によってドイツが東西に分断され、この東西ドイツを間にアメリカを中心とした西側資本主義とソ連を中心とした東側社会主義とに分かれていきます。

 

東西ドイツの間に作られた【ベルリンの壁】はその象徴的なものとなっていました。

 

互いにどちらが世界のリーダーシップを取るかで直接ではありませんが対立を深めていく中で、朝鮮戦争ベトナム戦争など二国の代理戦争ともいえる実際の戦争も起こったりしました。

 

 

原水爆の開発

アメリカとソ連はお互いの技術力を争う形で、核兵器の開発をどんどん進めていきます。

 

近年の北朝鮮問題等で核実験の様子が報道されたこともありましたが、あのような地下実験とは異なり、当時アメリカは水上や島上での原爆実験を繰り返していたのです。

 

当然のことですが、放射能の影響で実験用付近の生態系には大きな影響も出たでしょうし、ある実験では島ごと吹き飛び巨大クレーターを出現させたとも言われています。

 

さらに1952年には広島型原爆の威力を何倍も超えるような水爆実験を成功させました。

 

ビキニ環礁での実験

水爆実験の一つが行われたのが太平洋・マーシャル諸島のビキニ環礁でした。

 

全部で6回行われたとされるこの実験は正式には「キャッスル作戦」と言われていますが、その第一回目で事件が起きたのです。

 

第五福竜丸と水爆実験

(キャッスル作戦・ブラボー 出典:Wikipedia)

船の誕生と遠洋漁業の解禁

1947年神奈川県三崎港で誕生した「第七事代丸(だいななことしちまる)」という木造の漁船が誕生しました。

 

このころは戦後に【マッカーサーライン】というものが設定され漁業のエリアに制限がある時代だったため、この船はカツオ漁船として活躍していました。

 

1952年に漁業制限が解かれたことで、船は静岡県焼津港にてマグロ漁船に改造されて「第五福竜丸」となり遠洋漁業にでかけていくことになります。

 

 

(当時の第五福竜丸 出典:Wikipedia)

 

ビキニ環礁での被爆

第五福竜丸が5回目の航海にでた1954、乗組員23名を乗せたこの船はビキニ環礁にてアメリカで最初の実用可能水爆「ブラボー」の実験に巻き込まれてしまいます。

 

事件当時、第五福竜丸は自由に航行や操業ができる公海上におり、事前にアメリカから通告されていた危険水域の外側で作業をしていました。

 

31645分、船の乗組員は西の空に急な明るさと火の塊をみました。そして数分後には周囲で大きな爆発音が鳴り響きます。

 

【実際の映像】

 

 

3~4時間たつと空から白い灰が雪のように降り積もり看板に足跡がつくくらいに降り積もったそうです。

 

第五福竜丸はアメリカによる証拠隠滅のために船が沈められるかもしれないと考え、船長判断でSOS発信をすることなく、急ぎ作業を中止し、その場から離れるように日本への帰港を進めました。

 

健康被害

降り積もった白い灰は後に「死の灰」と呼ばれますが、作業をしていた乗組員の顔や手足などに付着し、呼吸により体内に吸い込まれました。

 

付着した個所は火傷のようになり、乗組員たちは頭痛や吐き気、めまいや下痢、目の痛みを感じたり、歯茎からの出血が見られたり、髪の毛が根元から抜けたりしました。

 

2週間後日本に帰港して23名は緊急入院しますが、軍事情報ということで原因の追究をアメリカに出来ず治療方法のわからない状態となっていました。

 

そして、半年後には放射能症の悪化により乗務員の一人 久保山愛吉さんが死去してしまいます。

 

 

(亡くなる直前の久保山愛吉さん 出典:Wikipedia)

 

 

久保山さんは「原水爆の被害者は私を最後にしてほしい」という言葉を残して亡くなったそうです。

 

残りの22名は無事に退院しますが、後遺症に悩まされ、死の恐怖と戦いながらその後の人生を送ることになりました。

 

被害の拡大

この実験により、第五福竜丸だけでなく当時太平洋上で作業をしていた850隻近い日本の漁船も被爆したと考えられました。

 

また第五福竜丸が持ち帰ったマグロをガイガーカウンターで調べたところ、放射能汚染がひどいことが判明したのです。

 

 

(放射線調査の様子 出典:Wikipedia)

 

 

その為、全国で水揚げされた魚を調査することになり、結果480トン以上の魚が汚染されていたために処分されることになりました。

 

また汚染された魚への不安から、全国の魚の消費は落ち込み、多くの漁業関係者やお寿司屋さんは大きな損害を受けることになりました。

 

 

(事件後の魚屋さん 店頭の様子 出典:Wikipedia)

 

船体のその後

事件後、第五福竜丸本体は文部省が買い取り除染や調査が行われました。

 

後に「はやぶさ丸」と名前を変えて東京水産大学の練習船として活躍し、役目を終えてからは何とゴミ捨て場である夢の島にそのまま捨てられていたそうです。

 

正直びっくりするような酷い扱いですね。

 

その後この船の保存を訴えた運動が起こり、現在は夢の島公園内に「東京都立第五福竜丸展示館」が作られ、当時の木製遠洋漁業船の実物として、また二度とこのような事件が起きないようにという願いをこめて大切に保存展示されています。

 

国内外への影響

(久保山さんの訃報に泣き崩れる妻と母 出典:Wikipedia)

反核運動の高まり

水爆実験の威力がアメリカの予測を超えていたことから、安全地域にいたはずの第五福竜丸が被爆したこの事件ですので当然アメリカ側からの謝罪と補償があってしかるべきでした。

 

しかしながら、当時日本はアメリカの力に頼り戦後復興を進めており、強く出ることはできませんでした。

 

事件を穏便に収束させたいアメリカから第五福竜丸乗組員へ見舞金が払われることでこの件は終わりにしようとします。

 

他の被爆した船に対する補償もなければ、明確な謝罪もないこの終結の不甲斐なさに加えて、ビキニ環礁実験後の降灰の影響が実は日本本土へも及んでいたことが明らかになり、日本国内では「核廃絶」への動きが高まっていきました。

 

原水爆禁止世界大会の開催

広島・長崎の原爆による被害では、一度に20万人以上の人々が犠牲になっておきながら、アメリカの情報規制によって当時国内にその惨禍は伝わっていませんでした。

 

 

しかし、この事件をきっかけにし、3度の被爆の悲惨さは日本国民に広く知られるようになります。

 

核兵器の廃絶を求める「原水爆禁止署名」は一年で3400万人を超えましたが、これは当時の有権者の過半数に達していたそうです。

 

この運動は、1955年には広島で1回原水爆禁止世界大会が、翌1956年には長崎で第2回が開かれるまでに発展し、その後毎年世界の人々と連帯して世界大会が開かれています。

 

原爆投下から74年たった今年も8月に開催されます。

 

世相の反映

世界に誇る日本の怪獣映画「ゴジラ」ですが、実は「ゴジラ」はこの事件に深いかかわりがあります。

 

この映画が最初に公開されたのは195411月でしたが、これは久保山さんの死から二か月後でした。

 

「ゴジラ」は“水爆実験の衝撃によって永い眠りから覚め、ビキニ環礁の海底から姿を現した太古の怪獣“という設定になっています。

 

この「ゴジラ」が放射能の光線などで東京を破壊する様は、戦争の記憶を残していた国民にとって、空襲や原爆の象徴としても捉えられたのかもしれません。

 

ちなみに、『ビキニ』という水着がありますが、これはこの時の水爆実験ではなく、アメリカで戦後最初に行われたビキニ環礁での原爆実験を受けて、その[小さいながらに周囲に与える影響が大きい]ということを原爆の破壊力に例えて、当時のデザイナーが命名したということです。

 

科学の発展と人のかかわり

(築地市場に設置されたプレート 出典:Wikipedia)

想定外の出来事

第五福竜丸事件はアメリカの水爆威力に対しての『想定外』の出来事から起こっています。

 

近年この言葉は色んな所で聞いているような気がしますね。

 

科学の発展に伴い、人間はいろんな可能性に手を伸ばしてきました。

 

先の福島での件もそうですが、人の想像力は科学の力を正しく“想定”出来るのでしょうか。

 

未来への警鐘

この事件の被害者である大石又七さんは、現在でも積極的に事件を後世に伝える活動をおこなっており、その著書にて放射能被爆の恐ろしさを詳しく教えてくれています。

 

2011年東日本大震災での原発事故による放射能汚染は全国的さらに世界的な問題となりましたが、その被害状況や詳細は未だに曖昧なところが多いですし、様々な情報により各地での風評被害もおきてしまいました。

 

私たちには「第五福竜丸事件」のような事件を風化させることなく、また正しく理解し活かしていく責任があるのではないでしょうか。

 

まとめ

 第五福竜丸事件とは1954年にマーシャル諸島のビキニ環礁にてアメリカの水爆実験に日本の漁船「第五福竜丸」が巻きこまれた事件のこと。

 第五福竜丸の乗組員は実験による「死の灰」を浴びて放射能被爆してしまった。

 乗組員の内1名久保山愛吉さんが亡くなり、命が助かった乗組員たちもその後の後遺症に苦しんだ。

 周囲の漁船も被爆していたことが分かり全国で大量の魚が破棄されることになった。

 魚の汚染と破棄は、国内の魚消費への不安を招き、関係者は風評被害に苦しんだ。

 第五福竜丸事件をきっかけにして全国で原水爆禁止運動が活発になり、1955年広島での第1回開催以降、毎年「原水爆禁止世界大会」が開催されている。

 「ゴジラ」の第一作目はこの事件の影響を強く受けている。

 第五福竜丸本体は「東京都立第五福竜丸展示館」に保存展示され、この事件を後世に伝える役割を果たしている。




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