【脱亜論とは】意味や内容をわかりやすく解説!!福沢諭吉は正しかったのか?

 

日本史においての近現代史は動きがたくさんあり、また文化人や政治がらみの人も多くでてきますから誰がどんな考え方で何を主張したかなど整頓しておく必要があります。

 

また、その考え方をまとめて○○というなど感じ3文字や4文字が多くなりますので、混乱しないようにまとめていくことにしましょう。

 

明治から大正にかけて世の中は大きく動きます。

 

いろいろな考え方や思想などもでてきます。

 

文学者や政治学者がでてきて国を変えようとしたり、既に諸外国との国交もあることから海外の進んだ文明を取り入れないと日本はおいていかれてしまう!と考える人もいれば、

 

海外の文明なんて恐ろしい!、そんな文明や文化習慣、制度を取り入れたら日本も外国の一部にのっとられてしまう!などと考える人もいました。

 

歴史を学ぶうえで、まずは国を作るということにおいて色々な考え方があるということを念頭に覚えていくと良いと思います。

 

今回、解説する『脱亜論』もその一つです。

 

脱亜論とは?

(明治15年3月1日に発行された時事新報 出典:Wikipedia

 

 

脱亜論(だつあろん)とは、1885年(明治18年)3月16日に掲載された新聞社説(評論)のことです。

 

その新聞とは【時事新報】です。

 

試験問題で新聞名を答えさせたり選択させる問題がありますのでおさえておきましょう。

 

現代に置き換えるとわかりやすいのですが、朝日新聞などの社説の欄もありますよね。

 

世の中のこと、社会のことなどを取り上げられる欄です。

 

それで、この脱亜論ですが当初掲載されていたときは無署名であったのですが・・・

 

1933年(昭和8年)、続福澤全集という本に収録されたため、以来福澤諭吉が執筆したであろうと考えられるようになったため、脱亜論イコール福澤諭吉と言われるようになったのです。

 

試験においてはこのような裏事情も把握しつつ、脱亜論は福澤諭吉と覚えましょう。

 

脱亜論(社説)の内容

(脱亜入欧 風刺画 引用元

 

 

筆者不明の脱亜論ですがいったいどんなことが書いてあったのかというと、こんな感じなのです。

 

『交通手段の発達による西洋文明の伝播(広がり)は麻疹(伝染病)の流行のようにはやい』と表現していたり、その広がりを防ぐのではなく早くその西洋文明になれるようになることが重要であると主張していたのです。

 

日本はもっと文明化を受け入れることが大切。

 

そして日本は、西洋の進んだ文明を取り入れることでアジア的な価値観から抜けだした(脱亜した)唯一の国であると日本を評価したのです。

 

わかりやすく言うと、脱亜論とは、アジア諸国を抜き出て西洋に近づくように文明化社会を素直に受け入れる姿勢や風潮のことを指します。

 

また、新聞掲載の脱亜論では日本の近隣の国は不幸だとも言っています。これは清と朝鮮のことを指します。

 

この二つの国は当時近代化の文化や西洋文明を拒否し、儒教など昔からの思想や体制を重んじていたからです。

 

そのため、より日本は抜きんでて外国の西洋列強諸国と肩を並べるような国になるべきだと主張しました。

 

日本が欧米列強に近づくためにアジアからの脱却を唱えたもので、日本がアジアの1カ国であることを否定している。と書かれている参考書や教科書も多いです。

 

わかりやすい4文字として脱亜入欧(だつあにゅうおう)も併せて覚えておきましょう。

 

“後進世界であるアジアを脱し、ヨーロッパの列強の一員となる”という意味でスローガン的に言われていました。

 

なぜ福澤諭吉が脱亜論を書いたと言われているのか?

(明治24年頃の福沢諭吉。現1万円札の原画 出典:Wikipedia

 

 

新聞に掲載された脱亜論が福澤諭吉が書いたものであると後世に言われているのには理由があるのです。

 

新聞に脱亜論が掲載される前に、朝鮮との関係などが論説されたりなどして、その要約が後に出てくる脱亜論になったのではないかなど言われております。

 

福澤諭吉は今の慶応義塾大学を作った人

福澤諭吉は1万円札の顔だけではなく大学も作ったのです。

 

慶応には当時朝鮮からの正式な留学生の第1号としてユ・ギルチュンという朝鮮の人が留学していました。

 

福澤はこの人から朝鮮への理解を深めていくこととなります。ハングル文字の仕様が朝鮮近代化と民衆の教化に必要ではないかと福澤は考えました。

 

この時代、中国や朝鮮から政治家や思想家が日本を訪れ、それぞれお互いの国がどのような方向に進んだらよいかなど話し合ったりしました。

 

それらのことを新聞の社説でかかれたり、本を出す人もいればそれに対して意見する人もいました。

 

当時は現代では想像ができないくらい、政治や国の動きに関して文化人や思想家たちが意見がいえたのです。そしてその意見に対して民衆も動きをみせたりという時代でした。

 

福澤諭吉は正しかった?

 

ただ、この脱亜論が正しかったのか否かについてはどうでしょうか?

 

これは人によって考え方が異なるでしょう。

 

平成の現代においては、中国は経済において世界でも大きな影響を与えるくらいになっていますし、韓国だって日本に韓流ブームなど起こしたりと経済だけではなく文化やサブカルチャーの面でも日本、韓国、中国のアジアは切り離せない関係なのではないかと思っています。

 

決して韓国や中国が劣っている国だということはありませんし、だからといって日本が欧州やアメリカと同列の国かというと疑問ですよね。

 

まとめ

 脱亜論とは、時事新報という新聞での社説のこと。

 脱亜論の考え方は、遅れているアジアから脱して、進んでいる欧州の列強国の一員になろう!めざそう!という考え方。

 脱亜入欧という言葉もでてきた。文字通りアジアを脱して、欧州の仲間入りをしようというスローガン。

 福澤諭吉が説いたと言われているが、本当のところはそうではない。

 実際は新聞の社説での脱亜論を書いた人は不明とされる。

 のちに福澤諭吉に関する書籍や脱亜論に関する書籍も発行されるようになる。

 福澤諭吉が脱亜論を主張したと言われるのは、「続福澤全集」という福澤諭吉の伝記を石河幹明という人が執筆した書籍の中で脱亜論を書いたため、脱亜論イコール福澤諭吉と言われるようになった。

 福澤諭吉とは現在の慶応義塾大学を作った人で、現在の1万円札に載っている人